ある書籍で勉強していたら、演習をやっている内にその本には求めている水準の理解に達するための内容が欠けていることが判明した。
やはり1冊は危険だと思った。
取っ掛かりには良いのかもしれないが長居しすぎた。
結局、網羅的な本を中古で買ってそちらでやることになったが、今まで学習したことのレベルや理解度が低すぎて呆れる。
内容的に戻って、新しい本の演習をやることにした。
この戻りが必要な時のふりだしに戻るみたいな恐怖感は未だに慣れない。
俺はなにをやっていたんだ。
今までかけてきた時間はなんだったんだ。
なぜもっと早く気がつけなかったんだ。
という気持ちが押し寄せ、一瞬自分への怒りのボルテージが急上昇したが、深呼吸で抑えた。
その後、少し考えた。
まず、その時点までの無駄な時間を使ったという損失はどう足掻いても変わらない。(仮に無駄ではなかったとしても、不変には変わりない。)
その前提のうえ、自分が間違った(非効率的な)ことをしていたと判明、思ったわけだが、捉え方によってはこれは自分の学習方法についての発見、改善であるとも受け取れる。
もっと発見が遅れるという、より悪いケースも考えられる。
どちらにせよ現状は変わらないのだから、ポジティブな考えをしたほうが得なのかもしれないという考えが浮かんできた。
いきなりこの考えを自分に取り入れるのは恐れや(嘘っぽい救い、慰めへの)抵抗がある。
俺の親は相当やばかった。
認めたくはないが、俺にもガイジの血が流れている。
ああ、彼にこういうところが似ているな、でも後天的な精神的特性がそれを抑制しているなとかで救われている面がある。
それに似て、ネガティブや自己肯定感の低さゆえに、後々考えると良い選択をしたりというのもなくはない。
なので合間を取って、とりあえず当面はそういう(プラスな)考え方、受け取り方もあるという視点の存在そのものは受け入れていくことにした。
僕とコネクトして互いのpositivityを推移させてみないか?
あるいは、これはただ単に凡人なら誰もが通るようなありふれた成長なだけなのかもしれないが、まあそんなことは知りようがない。
他人の投稿などを参考のために漁ってネトストしていると、負荷が高い環境(例えば大学とか)では土台が安定した精神や家の太さ、その人の特性など全てが試されるんだなあと思った。
特に、問題があるような人を見ていると。
最近はもう自分のことを真剣に考えないといけないと思い、色々整理している。
目玉が引きちぎれそうなほどEMDRを行い、体験を遡っている。
イキイキ2026で述べたとおり、別にまとめて整理するつもりなので今回は書かないが、なぜか完全に忘れていた過去の出来事と感情を思い出したりしている。