フィクションとシミュレーション #
フィクションとシミュレーションというタイトルの動画を発見した。
まあどんなもんかと興味をもったので、動画の尺の\(\frac{2}{3}\)ぐらいの時間で視聴した。
い面白かったので色々と書いておくことにした。
動画の内容について #
ttps://youtu.be/VKobXLHsogg
この動画で紹介されているもので面白いと思ったものについて、以下がある。
17:05 ~
可能世界46:04 ~
シミュレーション論法
それぞれについて考えたり思ったことを書いていく。
その他については、チャネルを合わせる覚悟ができなかったので、言及するのはやめておく。
可能世界 #
17:05
あたりの可能世界の説明では、命題(とは1)の真偽の組み合わせとの説明がある。
これはよく使うような考え方だと思った。
頭の中で考えるときに、もしこれがこうだったらと仮定したりして考えたりすることがあると思うが、そのもしもという仮定を考えたり、その上で推論を行うのは、ここで言うところの別世界を考えること、その別世界の様子を見るといったことと何となく対応を感じなくはない。
シミュレーション論法 #
シミュレーション仮説とも言われるようだ。
🔗Nick Bostromという哲学者(2)によって提唱された仮説とのこと。
彼の個人サイト(Wikipediaに載っている)からThe Simulation Argumentというシミュレーション仮設についての文献を発見したので、現在3:30am、頭痛がするほど眠い上に自慰後のバグった頭でざっと目を通すことにした。
面倒事を避けるためにリンクを貼るのは控えておく。
\(\frac{3}{5}\)ぐらい目を通した上で、主張としては、色々省いて、 ポストヒューマン(?)文明は、理想的(シミュレーションが可能なほど)な計算資源を得る というのが仮定で、仮定の上で、次の3つの命題のうち少なくとも1つが真であるというのが説の主張のようだ。
- ポストヒューマン(?)段階に到達する人類レベルの文明の割合はゼロに極めて近い
- シミュレーションの実行に関心を持つポスト・ヒューマン文明の割合はゼロに極めて近い
- すべての人々のうち、シミュレーションの中で生活している人の割合は1に極めて近い
まあもう議論が想像を超えていたのでどうでも良くなった。
自分の話 #
仮想現実説 #
ここで終わっては今まで俺が費やした時間はなんだったんだとなってしまうので、仮想現実説に対する個人的な考えをここに残しておくことにする。
シミュレーションが可能なことを仮定して、その上で俺はシミュレーションされた世界の意識なのかどうかについて考えるぐらいがちょうど良いだろう。
シミュレーションが可能ならその可能性は否定できないというのが俺の現時点での考えだ。
シミュレーションであればシミュレーションしている側の世界が気になるし、どっちみち何かしらが存在すると思うので、結局はお馴染みの世界の始まりへの興味に行き着く。
自慰してカフェインの入った飲み物を摂取して、夜更かししていると、手を動かしてPCを操作して、モニターを見ている自分を認識できているのが不思議で仕方なくなる。
脳に悪そうだし、統失になりたくないのでこのコンボは今後控えるようにしようと思った。
哲学 #
子供の頃(義務教育時代)はナンセンス(?)な問いについて考えたり、想像したりして面白がったりしていた。
というか今でも自慰+夜ふかしでバグったときはシャワーを浴びながらどうでも良い想像を膨らませている。
まあとにかく 哲学の本を読もうと と思って手に取った本がだいたい危ない3内容だったので、哲学という言葉に対する不信感や苦手意識のようなものが自分の中に出来上がっていた。
そもそも哲学がなんなのかもよくわからないしね。
最近になって数学で集合論についての記事を読んでいたら🔗Zermelo’s Axiomatization of Set Theoryという記述にたどり着き、Stanford Encyclopedia of Philosophy
4というサイトを発見した。
哲学のWikiのようだが、思ったより興味を惹くものが多かったので気が向いたら寝る前の暇つぶしに色々と見てみようと思う。
倫理哲学や政治哲学のようなものは苦手だが、何を知りうるかといった認識に関することや存在に関する考えはおもしろそうだ。
ただ、哲学に触れて病んだ人を見たことがあるので、自分はたまに読んで面白がるぐらいにしておこうと思う。
集合論で現代数学を構築するみたいな内容のサイトを書いている人だったので、集合論にはそういったリスクがあるのかもしれない。
単純に難しそうで脳への負担がやばそうだし精神を試されるんだろう。
老後は 毒殺されるのではないか という妄想に取り憑かれて妻の料理しか食べられなかったゲーデルは哲学もやっていた5らしい。
logicと哲学のダブルコンボだ。
動機 #
怪しい本を出した人が、SNSなどで本職やそれに近い方たちに指摘されるという光景を見たことがあるが、そういう人たちは、自分の言っていることを本当に本心から信じているのか、もしくは、印税などの金や、大学のポストなどの地位目当てで、(めちゃくちゃだと)分かった上でやっているのかどちらが多いのか気になる。
終わり #
これが教育機関でやられているのが面白い。
年齢を重ねるたびに身の回りの危うさが浮き彫りになってきて恐怖する。
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俺は今朝チョコバットを食べたか? \(36\)は\(7\)の倍数か?
のような疑問のことを、難しく、命題とよぶ文化がある。 ↩︎ -
ttps://scholar.google.com/citations?hl=en&user=oQwpz3QAAAAJ
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もちろん究極、自分の考えとは違うとしか言えないが。 ↩︎
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コンテンツ一覧ページ 🔗https://plato.stanford.edu/contents.html ↩︎
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私がアメリカにいる一つの楽しみはときどきゲーデル先生と会って数学の議論をすることである.
いつも『私はこのごろ哲学をやっていて logic をやっていないのでお前のやっていることを follow できないが』といわれるが、新しい論文のことなどもよく知っていて本質的な問題にふかい洞察があって驚くほどである.
『どういう哲学をやっているのか?』と聞いたことがある.
認識論とのことであった. それはどういうことか? いろいろと説明してくれたが忘れてしまった.
彼のようにヒタムキに良心的な人は logic だけの範囲では満足できず、そこまでいかないと気がすまないのであろう?
現代集合論 入門(竹内外史)
のp20 Logicians小伝 より引用。